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ほっち土鍋の位置

  焼き物を作っている私が鍋を作るならば、まずは土鍋を作るということになる。ステンレスや鋳鉄の鍋を作ることは、とりあえず今、私にはできない。以前、いわゆる“自然食系”の料理教室に通っていた妻が、そこではすべての調理が土鍋で行なわれているということ、またその教室の先生の一人は自宅でも土鍋しか使わないということを私に教えてくれた。日々の料理に土鍋しか使わないという人がいる事を知り、私は少なからず驚いた。そして「土鍋を作ってほしい」と妻から頼まれた私は、その言葉を受けて、日常使いに適した土鍋を作ることを決めた。「毎日使うには、いま出回っている土鍋では不便だろう」と私には思われた。

 鍋料理用の土鍋には形の類似性がある。その形には歴史があり意味があるのだろう。例えば金属よりも衝撃に弱いから厚く作る、硬い物に強く当てれば欠けやすいから持ち手はあまり出っ張らせない、制作に無理がなく、具材が見やすくて取り出しやすいように全体を浅くする、熱が均等に回り、熱膨張差による破損が起きにくいように底には丸みを持たせる、といった感じだろうか。

 けれども私は敢えて別の方向を選んだ。それを日常使いの為の道具として捉え、その為の利便性を第一に措定すれば、そこには別の”理”が在るのではないのか・・・。「それを探って形にしてみたい」と私は思った。土鍋を作るということについて、まずは、それ以外に自分のやるべき事があるとは私には思えなかった。

 さて然しこれまで書いてきたことは、凡そ土鍋というモノに対する一般的な概念の中での話だ。  それでは私が作っている土鍋は今まで述べてきた鍋料理用の土鍋と同じモノなのかと言うと、「同じではない」と言わざるを得ない。何故ならそれは、食卓で使う土鍋ではなく、キッチンで使う調理道具としての土鍋なのだから。別の言い方をすれば、それは鍋料理用の土鍋とは使用方法が異なる土鍋であり、またキッチンで使う日常使い用の(金属)鍋とは素材が異なる鍋(土鍋)だということになる。それは、“鍋料理用の土鍋”の概念では捉えきれない性質を含んでおり、また、日常使いの金属製鍋の概念で捉えることも出来ない性質を持っていると言えるだろう。

 


 

食卓での土鍋

 なぜそこで土鍋が使われているのかということを、より明確に知るには、歴史を知る必要があるだろう。文化史的に見れば時どきの社会構造や生活様式による起源と変遷が土鍋にも当然あると思われる。“食卓での土鍋料理”という現在の形態は、その様々な変化の中で発生し、生き残ってきたものだろう。けれどもそれを語るということは、土鍋のみならず、鍋料理、ひいては食文化全般の歴史を語るという事にほかならず、今の私にその知見は到底ない。またこの文も食文化を語る目的で書いているのではない。そのことについては他の優れた文献等を参照していただくとして、私なりに話を進めたい。

 なぜそこで土鍋が使われているのかについては、いろいろな考え方ができると思うが、敢えて言わせてもらうならばその理由の一つは、やはり土鍋料理が美味しいという認識があるからだと思う。食卓で鍋料理を食べながら、その場が楽しく、その料理が美味しくて、「鍋料理っていいなぁ」と思ったとすれば、その人はその歴史をまさに体現しているのであり、その変遷の知識など無くても、“鍋料理と鍋料理用の土鍋とそれを取り巻くさまざま”を理解している筈だ。

 また更に言えば、キッチンではなく食卓で食器と一緒に並べ置かれて使用される土鍋を、食器として認識する心理が働いている、という考え方があることも否めないだろう。食器もまた様々な変遷を経て今に至っており、いくつもの素材が使われている現在だが、最も多く使われているのが陶磁器だという事に異論は無いとすれば食卓で使われる鍋料理用の鍋の素材は金属ではなく陶磁器、つまり“土鍋”が最も多いということにもなる。  とはいえ、「土鍋を食器として認識する」という類の心理は、そのモノ(土鍋)を思い浮かべる側のイメージと、そのモノ(土鍋)が備えている性質によって限定され、全ての人と土鍋に及ぶものではないだろう。

 

 


 

土鍋の起源と金属鍋

 言うまでもないが鍋の殆んどは金属製だ。鉄・ステンレス・アルミ・アルマイト・銅・その他や合金だったりするが、とにかく鍋と云えば金属だ。それが冬の夜に食卓で囲む鍋料理用の土鍋ではなく、キッチンで使う日常使いの鍋ならば、尚のこと金属ということになる。それは使用頻度が高く、それだけに様々な状況で使用されることに対する当然の帰結だろう。

 けれども歴史をひも解いてみれば土鍋の起源はそもそも金属の発生以前に溯ってしまう。地球上に土器が発生したのは約1万6000年前と云われており、しかもその始まりは土鍋だったという説もある。そして時を経て、銅・青銅・鉄等の金属が使用されるようになると、適材適所の当然の帰結として鍋は金属で作られるようになり、それはそのまま現在へと続いている。

 食卓での鍋料理に使われる土鍋は、そんな歴史の中で生き残ってきた土鍋の“最後の砦”と云ってもいいのかもしれない。これだけの時を経て文明が進化し、高品質な金属製の鍋が多く出回っている現在であるにもかかわらず、そこで土鍋は使われ続けている。あらためて考えてみると、この事実に驚きを禁じ得ない。

 


 

HOTCH-楽しむ陶磁-Ⅱ 

 素材、すなわち粘土というものが「形を作るための物」としてすでに存在し、それをどのように組み立ててゆくのか、ということのみが課題であるならば、ことはある意味では単純に考えられるのでしょう。けれどもオリジナルの耐熱素地で機能的な鍋を作ると決めてしまったばかりに、その素材をも一から作らねばならなくなり、果てしなく続く鉱物の調合・実験・試験・検証や、素材と形の改良の毎日に何年も明け暮れるという、或る種の奈落のような場所に入り込んでしまった私は、様々なデータや理想主義の妄想から生まれた考えに手や足を絡めすくい取られ、どうしてもそこから抜け出すことが叶わないといった状況に陥っていました。耐熱陶磁鍋を作り始めて10年になりますが、以上のような状態は未だに終わったわけではなく、最近になってようやく終息に向かいはじめたというのが実感です。
 昨年の12月初めにギャラリーオーナーと今回の企画の打ち合わせをし、その折に、「作りたいものを作ってくれ」という意味の言葉をかけていただきました。その言葉をきっかけに『幻視』や『螺旋と記憶』などの作品を制作することができたわけですが、この言葉は、上記の閉塞状況に陥っていた私にとっては、ふと気が付くと自分の傍らにどこからともなく下げられた蜘蛛の糸が近づき、その糸を伝わって登ってゆくと、それまで自分が居た場所が遥か足下に見えるようになり、やっとのことで暗くて高い塀の外側が見える場所にまで登りついた、というような状況を作り出してくれたと云えます。無論、上記の閉塞状況が終息しつつある時期だからこそ次の段階に進むことが可能だったわけではありますが、先の言葉とこの場が無ければ、おそらく未だに私は或る種の奈落の底で苦闘し続けていたことでしょう。
 たどり着いたこの新たな場所での仕事は始まったばかりですが、それでもようやく僅かだけでも別の領域に手をかけることが出来たことに、ささやかな喜びをかみしめています。(2013年2月 ぎゃらりーFROMまえばし「HOTCH  楽しむ陶磁」展Ⅱ 挨拶文より抜粋)

「植物と植物を植える器」展

植木鉢の実験的アプローチ

 私が植物と鉢植えについて思っていることは、「植物は自ら生きる」というあたりまえのことです。  西洋の一般的なガーデニングの概念では、鉢植えは、植物をそれぞれの目的に応じて最大の効率で成長させるということに主眼を置いて捉えられていると思います。そこでは、植物の種類や性質に応じて、鉢の形状や大きさ・培養土と肥料の性質・管理の方法・等を総合的に判断して栽培プロセスを組み立ててゆきます。ですからそのプロセスは極めて分析的で科学的なものです。
 けれども、ひとたび目を外に向けて道端や野山で自生している植物を観察してみれば、自然の営みが人間の想像力を遥かに超えたところで動いていることは明確で、いかに不適で過酷な環境に自らが芽生えてしまったとしても、植物は、自ら生を得たその場所を変えることはできず、又、そこで自らの生を潔く全うしています。
 数年前にあらためてこのことを再認識してから、私の意識の底には常にこの逞しい植物の姿が存在し続け、折にふれ様々な場面で意識の表層に浮かび上がってきたりしていました。科学的な栽培プロセスという限定された概念の中でのみ植木鉢を制作しなければならないということに息苦しさを覚え始めていた私の中に、そんな或る時、あるイメージが忽然と閃きました。「それならば器というものに限定される必要はないではないか」と。  ここから今回の実験的なアプローチは始まりました。
 西洋的な視点からのみ園芸を捉えていたそれまでの私に、偶然にもそのころ一つの出会いがありました。それは、日本の園芸の重要な流れを占める盆栽の世界ではごくありふれたことなのですが、陶板の上に植物を植える栽培方法との出会いです。器の水抜き穴から水を抜くという栽培概念にとらわれていた私は、器から水を抜かないという栽培に非常に強い驚きを覚えました。無論、ハイドロカルチャーの存在は私も知っていますが、この陶板植えという方法は、ハイドロカルチャーとは根本的な考え方が全く違っています。根毛と培養土の性質とイオン交換作用までをも分析するという優れた科学的手法であるハイドロカルチャーに対して、陶板植えの方法は、一見、拍子抜けする程あっけなくその問題を乗り越えてしまっています。又、さらに最近もう一つの出会いがありました。それは「根洗い」との出会いでした。これも盆栽の世界ではありふれた栽培方法ですが、この根洗いに於いては、ついに鉢は消失してしまっているのです。
 盆栽の世界の幅広さというよりも、日本的精神の神髄をそこに見たように思い、私は感動しました。そして無性に嬉しくなりました。この不完全な完全さとでも云いたくなるような性質を持った「陶板植え」という方法と、器という概念を超越した「根洗い」という方法、さらにはそれらと同一線上にある「苔玉」という方法は、日本人の自然に対する或る特徴的な世界観を反映しているように思えてなりません。そしてその概念に共感できる自分を自身が発見してゆく過程は、同時に又、植木鉢に対して私がそれまで抱いていた概念の私自身の中での崩壊と、新たな概念の萌芽を実感させてくれる過程でもありました。

 確かに植物はそこにみずから生きているのです。これで私は「植木鉢」という概念から、より自由になれる。  これが私の出した結論です。そのため、今回の展覧会での一部の作品は甚だ実験的要素の強いものとなりました。人為と自然の妙。けれどもそれらは所詮わたしの無邪気な実験です。そして今回は、パートナー石川治子さんのお力をお借りして、かろうじて形あるものにできたことを喜んでいます。(2006年 モギギャラリー 石川治子/堀地幸次「植物と植物を植える器」展 挨拶文より)