食卓での土鍋

 なぜそこで土鍋が使われているのかということを、より明確に知るには、歴史を知る必要があるだろう。文化史的に見れば時どきの社会構造や生活様式による起源と変遷が土鍋にも当然あると思われる。“食卓での土鍋料理”という現在の形態は、その様々な変化の中で発生し、生き残ってきたものだろう。けれどもそれを語るということは、土鍋のみならず、鍋料理、ひいては食文化全般の歴史を語るという事にほかならず、今の私にその知見は到底ない。またこの文も食文化を語る目的で書いているのではない。そのことについては他の優れた文献等を参照していただくとして、私なりに話を進めたい。

 なぜそこで土鍋が使われているのかについては、いろいろな考え方ができると思うが、敢えて言わせてもらうならばその理由の一つは、やはり土鍋料理が美味しいという認識があるからだと思う。食卓で鍋料理を食べながら、その場が楽しく、その料理が美味しくて、「鍋料理っていいなぁ」と思ったとすれば、その人はその歴史をまさに体現しているのであり、その変遷の知識など無くても、“鍋料理と鍋料理用の土鍋とそれを取り巻くさまざま”を理解している筈だ。

 また更に言えば、キッチンではなく食卓で食器と一緒に並べ置かれて使用される土鍋を、食器として認識する心理が働いている、という考え方があることも否めないだろう。食器もまた様々な変遷を経て今に至っており、いくつもの素材が使われている現在だが、最も多く使われているのが陶磁器だという事に異論は無いとすれば食卓で使われる鍋料理用の鍋の素材は金属ではなく陶磁器、つまり“土鍋”が最も多いということにもなる。  とはいえ、「土鍋を食器として認識する」という類の心理は、そのモノ(土鍋)を思い浮かべる側のイメージと、そのモノ(土鍋)が備えている性質によって限定され、全ての人と土鍋に及ぶものではないだろう。