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薪作りとヤマトタマムシ

 工房前の庭で作業をしていた時、胸元に何かの虫がとまっている気配を感じ、驚いて思わず手で払うと、足元に落ちたのはヤマトタマムシだった。手にとってみると、突然払われてショックを受けたのか、タマムシは動かないままだったが、しばらくするとやがて元気に動き始めた。サイトが消えてしまったトラブルで日付は確認できないが、以前もタマムシのことを書いたのを覚えている。

※「サイトの消失と再開について」参照

  タマムシの生態に詳しくはないので少し調べてみた。『群馬県レッドデータブック 動物編 2012年改訂版』によると、ヤマトタマムシは群馬県では「準絶滅危惧」というカテゴリーに分類されている。全国的にも個体数は減少傾向にあるようで、他の都県などでも種々の「絶滅危惧」カテゴリーに分類されているようだ。また、ネット検索で「タマムシ愛好会」というサイトを見つけ、参考にさせていただいた。同レッドデータブックと「タマムシ愛好会」のサイトによると、

  • ヤマトタマムシの生息域は、平地帯 亜山地帯 夏緑広葉樹林 住宅地公園 里山など。
  • エノキ、ケヤキ、カシ、ナラ、クヌギ、ハリエンジュ、サクラ、オニグルミ、カキ、など各種広葉樹の半枯れ部、伐採木、伐採直後の切り株、等に産卵する。
  • 幼虫は産卵された樹を食餌し、食餌内容や成育環境によって、2年から4年程で羽化する。
  • 成虫はエノキ、ケヤキの葉を後食する。
  • 生息域の開発行為、農薬汚染、朽木や倒木の回収や撤去、樹木の枯死対策のための消毒などにより、個体数が減少している。

ということだ。詳しく知りたい方は「タマムシ愛好会」というサイトを見ていただければ、と思う。

 窯焚き用とストーブ用の薪を原木から作る。薪割りの際にいろいろな虫が木の中から出てくるのは珍しいことではなく、それがどのような意味を持つのかを考えたことはこれまで特になかったが、ヤマトタマムシが準絶滅危惧種だと知ったのをきっかけに、少しその意味を考えてみたい。

 このタマムシはどんな経緯でこの場所にやってきたのか。積み置いている原木に幼虫がいたのならば、その原木の元の所在地にタマムシが生息していたことになる。また産卵のためにこの場所に成虫が飛んできたのならば、この近くにタマムシの生息場所があることになる。けれどもその場合、どうしてその生息場所で産卵しないのか、と疑問が残る。だからどちらかというと、原木中に生息していた幼虫が羽化した可能性が高い。つまり原木の搬入時、原木中にいたタマムシを一緒に連れてきたことになる。そう言えば、胴部?に比べて頭部が急に大きくなっているカミキリムシの幼虫に似た幼虫を、薪割り時に多く見かけていた。いま思えば、あれがヤマトタマムシの幼虫だったのだと思う。迂闊な私はそれを調べずにカミキリの幼虫の一種だろうぐらいに思っていた。

  私が原木を入手する場所は様々だが、その一つとして造園屋さんの木の置き場がある。また、その時々で声をかけていただき、屋敷林や空き地など様々な場所から、木を運ぶことになる。そのいずれもが必要に迫られて伐採された木々だ。私がもらい受けなければこれらの木々は処分されてしまうのだから、引き取って私の所に置いておけば、タマムシの生息にとってプラスに作用するようにも思えるが、実はそうとも限らない。

 私の所に運び込まれれば、1年から数年以内に燃料としてその木は消費される。けれども木の伐採場所では、伐った木を片付けないケースもある。またその造園屋さんの原木置き場でも、太い木はずっとその場所に置きっぱなしになっている。先に書いたように、ヤマトタマムシの幼虫は「産卵された樹を食餌し、食餌内容や成育環境によって、2年から4年程で羽化する」ということなので、元の場所に木が放置され続ければ、より長い期間、タマムシはそこに産卵して生きられるだろう。ただしやはり先に書いたように、ヤマトタマムシは「エノキ、ケヤキ、カシ、ナラ、クヌギ、ハリエンジュ、サクラ、オニグルミ、カキ、など各種広葉樹」に産卵するけれども、「成虫はエノキ、ケヤキの葉を後食する」らしい。つまり産卵樹種(幼虫が食べる樹種)と後食樹種(成虫が食べる樹種)とが異なる場合もある。もし仮に産卵樹種と後食樹種とが異なっていた場合、羽化した成虫は後食樹種が葉を茂らせている場所へ移動しなければ生きられないだろう。さらにタマムシは「各種広葉樹の半枯れ部、伐採木、伐採直後の切り株、等に産卵する」ので、条件が整わなければ産卵できないかもしれない。総体としての自然環境の豊かさが生息には必要だ。

 環境の深化という方向性を持った個別具体的な変化がなければ、総体としての自然環境の深化はあり得ない。だからたとえ小さなことでも、その時々に気付いたことや出来ることを大切にしたい。都市や住宅地や畑作地帯では、緑地やビオトープなどの保存と新たな創出が必要だろう。ある生物の生息場所を一つの「点」として、その行動範囲内に「点」が複数あればその生物の生息の可能性は大きく広がることになる。今回のことで言えば、タマムシを見つけた工房の木の置き場は、その「点」ということになる。造園屋さんの原木置き場も、伐採された樫の大木がある空き地も、伐られた原木が山積みになっている屋敷林も、同じように大切な大小の「点」だ。しかしながら私の生活圏を概観しても、これらの「点」は甚だしく不足しているように思えるし、それを増やす術も思い浮かばない。残念ながらこの場所に運ばれてきたタマムシが生息し続ける可能性は低い、と考えざるを得ない。たとえ「都市や住宅地や畑作地帯」にあっても、小さな生き物が行き来できる距離に、それぞれが生きられる環境が当たり前のように点在する社会になればいいなぁ、と思うけれども、これはやはり難しいことか。

 ヤマトタマムシが準絶滅危惧種だと知ったのをきっかけに、薪作りに関わる自らの行動や、普段、当たり前に身を置いている環境が、生態系と密接に関係していることを改めて自覚し、目が覚める思いがした。私の意識を遥かに超えて動いている昆虫のセンサーと自然界のダイナミズムに感嘆せざるを得ない。私自身もセンサーを敏感に働かせ、「一を聞いて十を知る」というような広い視野で目の前の事物を見据えていきたいと思うが、それは簡単なことではないだろう。

 

サイトの消失と再開について

 およそ2か月前の4月下旬、このサイトとサイトの管理画面にアクセスできなくなる事態に陥った。当サイトはワードプレスで制作しているのだが、PC関係のバグやトラブルに対応するような知識を私は持ち合わせていないので、どうにもできない状態が続いていた。困り果てて、ワードプレスにかかわっている様々な人達が参加する「WordPressもくもく勉強会@群馬」という集まりに参加した。そこで詳しい方に教えていただいた結果、サイトのデータが消失しているということが分かり、新たにサイトを作り直さなければならなくなった。そんなことで6月も終わりに近づいた27日、最低限の形ではあるけれども、ようやくサイトを復活させることができた。

 約2か月にわたって消失していたサイトへのアクセスは、皆無となったが、とにかく再びこのブログを書くことができるようになったことをまずは喜びたい。そして、サイトの消失以前に当サイトにアクセスしてくださっていた方々には、当サイトが突然表示されなくなってしまったことをお詫びして、叶わないことかもしれないが、サイトの復活をご報告したい。

 これも「WordPressもくもく勉強会@群馬」の場で教えていただいたのだが、幸いなことにインターネットアーカイブに当サイトの一部が保存されていたので、重要なコンテンツである「HOTCH土鍋とその周辺」は、その情報を元に再投稿することができた。なお「HOTCH土鍋とその周辺」は、「HOTCHとその周辺」にタイトルを改めた。今後は、アーカイブされていた当サイトの情報をどこまで再現するかを検討しながら、新たなサイトを作りたいと思う。  また、この機会に「HOTCH」から「HOTCH POTTERY」へ工房名を変えさせていただくことにした。

 

鍋でご飯を炊くこと

 「炊飯用にしたいのでもう一つ土鍋がほしい」、と私製の土鍋を使ってくれている友人に言ってもらったのをきっかけに、炊飯に適する土鍋を試作し始めたところ、ずいぶん時間が経ってしまった。その言葉は、炊飯用に使う土鍋を私製の現行品の中からもうひとつ欲しい、という意味だったが、あらためて言われて私も考えてしまった。「炊飯専用にするならそれに適した鍋のほうがいいのでは?」と。けれども、炊飯に特化した土鍋は既に多く出回っていて、新たにそれを私が作る必要と余地は少ないだろうと思われ、また、炊飯用の鍋が無くてもご飯は炊けるだろう、などとも思ったりで、結論をすぐには出せなかった。ただ、その言葉は有り難い限りで、それに応えたいという思いは根強く私にあった。

 白米炊飯の方法には、多くの優れた研究がある。それらの研究から導かれた炊飯理論を応用すれば、鍋を問わず、美味しいご飯を炊くことは可能だと思われる。「土鍋で炊いたご飯は美味しい」、或いは、「かまどで炊いたご飯が一番美味しい」という意味の言葉に触れることは、メディア上でも実生活上でも少なくないけれども、これはより正確には、「土鍋で上手に炊けたご飯は美味しい」、あるいは、「かまどで上手に炊けたご飯は美味しい」と言うべきだろう。あたり前のことだが、使用する熱源や鍋に応じた適切な炊飯操作ができなければ美味しいごはんを炊くことはできない。逆に、適切な料理操作を行なうことができれば、熱源や鍋の種類にかかわらず、美味しいごはんを炊くことは可能だ。それ以前に、使用する米の質も大きな要素だが、今そのことは置いておく。

 わが家にはこの20年ほど、炊飯器が無い。そして三度の食事には、ほぼお米を食べている。妻は当然のようにガスコンロを使って鍋でご飯を炊いてきた。それが今回の仕事を始めてから、日々のごはん炊きは私の担当になった。炊飯に関して私が参考にさせていただいているのは、専門家の方々の研究報告だ。そのきっかけは、『調理と理論』(同文書院)という本だった。この本の中に「炊飯の理論」という項目があり、そこに基本的な炊飯方法とその理論的根拠となる出典が記されている。ネット環境が身近になった今、手軽にアクセス可能な資料文献もある。美味しいごはんを炊く方法の目安は、それらの優れた研究によって明らかになっている。私がここで炊飯の方法を書いても、所詮、専門家の方々の手による記述には及ばないので、気になる方は、ご自分でそれらの文献に当たってみられることをお勧めしたい。

 現在わが家で使っているガスコンロには「炊飯モード」がある。これは、コンロ上に鍋を置き、点火と火力設定をして炊飯ボタンを押せば、自動的にコンロが火力を調整し、炊飯が終わると消火する機能だ。炊飯モードは土鍋では機能しないということなので普段わが家で使うことはないけれども、今回、一連の流れで、金属鍋による炊飯モード実験を行なった。まずステンレスの多層鍋を使って炊いてみると、とても美味しく炊けることが分かった。同じメーカー製の大きさの違う鍋で炊飯量を変えて試しても、また、手頃な価格で出回っている薄手のアルマイト製鍋で試してみても、やはり同様においしく炊けるのだ。「機械、恐るべし」とでも言うべきか。この時点で「(炊飯は)これでいいのでは?」とも思ったのだが、出まわっているすべてのコンロに炊飯モードが付いているわけではないということに思い至ったのと、折りしも新型土鍋の開発中だったので、その一環として作業を進められたこと、また、繰り返す試作の過程で、ある程度の手応えを感じることができたこと、などの理由で仕事を続けることができた。

 「鍋」や「炊飯」とそれに付随するさまざまに対して、その濃淡や有無をも含めてどんな「思い」を抱いているのか。その内容によって選ぶ鍋は変わってくると思う。電気やガスの炊飯器、金属鍋、土鍋など、さまざまな鍋が炊飯に使われていて、そのいずれにも長所と短所がある。けれどもその長所と短所は、客観的な事実であると同時に、一方で主観的な要素でもある。自動炊飯に価値があるのと同じように、手をかけて炊くことにも意味はあり、必ずしも利便性のみでその選択が為されるとは限らないだろう。

 気に入った鍋を使って上手に炊けたご飯を食べれば気分もいい。お気に入りの鍋を使うことの良さは、そこにこそあるのだと思う。

 

 

遠赤外線の利用分野と土鍋

 土鍋での調理と遠赤外線との関係について調べると、図らずも、それら両者の希薄な関係性を再認識することになる。土鍋の販売関係の領域では、「土鍋での料理」と「遠赤外線」とが結びつけられて語られていることが多い。対して、実用遠赤外線分野やその工学領域では、かなり様相が違う。そこでは、「遠赤外線と料理」に関して、土鍋がほとんど登場しないのだ。このことは、遠赤外線の専門領域では、「土鍋での調理」というカテゴリーが希薄なことを意味するだろう。

 それは何故か。理由は、遠赤外線加熱が放射によるからだと思われる。以前も書いたが、赤外線放射とは、空気や真空、もしくは赤外線を透過する媒体を、赤外線が電磁波として伝わっていくことだ。換言すれば、加熱するモノと加熱されるモノとが、物理的に離れているか、それら両者の間に赤外線に対して透明な媒体が介在している状態でなければ、赤外線放射という現象は発生しない。煮汁を伴う料理操作では、煮汁が土鍋の内側に密着しているのだから、その部分に遠赤外線放射は(基本的には)起こらない。「煮る」という料理操作は、さまざまな料理操作中の一部ではあるけれども、料理に於ける最も基本的な形態のひとつであり、料理操作全体の中でもそれなりの比重を占めるだろう。従って、遠赤外線加熱による利用分野の中で、土鍋での料理というカテゴリーが希薄になると推測できる。

 それでは、食品調理や食品加工に於いて、遠赤外線加熱はどのように活用されているのか。遠赤外線独自の性質を有効に利用しようと思えば、料理操作も或る一定のカタチを持つことになるだろう。熱源から離れているモノを加熱するのが得意な遠赤外線なのだから、「焼き網」や「串」を使用する料理操作では遠赤外線を有効に活用することが出来る。言い換えれば、熱源から離れている食材を「焼く」加熱に於いて、遠赤外線はその特性を最も発揮しやすいと言えるだろう。私の目にとまった資料の中で、遠赤外線加熱による食品加工例として取り上げられているのは、コーヒー豆のロースト、パンのトースト、ウナギを焼くこと、海藻や野菜の乾燥、せんべいやビスケットなどの焼き上げ、焼き海苔の製造、保存食品の乾燥処理、等だ。

 市販されている土鍋の多くが、比較的有効な遠赤外線放射体であることは十分に考えられることだけれども、煮炊きの場合、鍋(の内側の煮汁に接していない部分)から食材に対して放射される遠赤外線よりも、鍋の外側から外部空間に対して放射される遠赤外線の方が、比率として多いということも考えられるだろう。

 さて、ここまで書くと、調理に於ける土鍋独自の機能と特質について、いったん遠赤外線から離れて考えてみる必要がある、ということになるだろう。以前、『「耐熱」とオーブンと直火』(HOTCH土鍋とその周辺⑦)の冒頭で、「土鍋について、少し書こうと思っていただけなのに、思わず饒舌になり、大きく遠回りしてしまっている。話を戻して、ここからは、調理における土鍋の基本的な特質について書いてみたい。」とも書いた。とはいえ、それはそれで簡単な話でもないと思われるので、今回はここまでにさせていただく。

 

 

経済との関わり

 土鍋を制作する際の主要原料のひとつであるペタライトは、アフリカのジンバブエから輸入されている。以前はブラジル産ペタライトも輸入されていたが、現在、ブラジル産の輸入は行なわれていない。ペタライトの最大の特徴であるリチウムの含有量は、ブラジル産よりもジンバブエ産の方が僅かに多い。ブラジル産は価格が低めで、私のような超零細個人には有り難い存在だった。

 私が土鍋を作り始めた頃、すでに国内における主要流通品はジンバブエ産だった。陶磁原料店経由でペタライトを使い始めていた私も、当初はジンバブエ産を使用していた。或る時、他にブラジル産が流通していることを知り、輸入販売元にその旨を問い合わせた。すると大阪に本社を構えるその会社の東京支店の方が、資料を持って群馬の私の工房まで足を運んで下さった。以来その会社と取引をさせていただいているが、何年か前、ブラジル産ペタライトの取り扱いが無くなるとの知らせを受けた。理由は、「輸入を辞める」からと云うことだった。国内の主要流通品はジンバブエ産で、ブラジル産は売れ行きが芳しくなかったようだった。

 けれどもこの話は少なからず私を落胆させた。ブラジル産ペタライトを知った当初、そのサンプルを入手した私は、それまでの(ジンバブエ産ペタライトを使用して制作していた)土鍋と同様のモノがブラジル産ペタライトを使用して作れるか否かを、時間をかけてテストし、同様の土鍋を作ることが可能であることを確かめて購入を決めたのだった。価格が低いにも拘わらず高性能な土鍋を作ることが出来るブラジル産ペタライトを、もちろん私は気に入っていた。しかしながら「輸入を辞める」という取引先の決定を受け入れる以外に私に術は無く、長いこと使用し続けたブラジル産ペタライトから、ジンバブエ産ペタライトに再び移行することになったのだが、こちらは、やはり価格が今までの物より高かった。しかも購入するたびに値段は上がり続け、現在は大幅に高く推移している。

 そのあたりの由来に興味を持ち、「Wikipedia」でジンバブエ関連を調べてみた私は、別の意味でため息をつくことになった。植民地支配と人種差別、独立運動と内戦、強権政治と人権抑圧、経済危機とハイパーインフレなどの様々がそこに記され、さらに2007年に「先例のない経済崩壊」と評されたジンバブエ経済のインフレ率は2009年には、「6.5×10108(6,500,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000)%」
という天文学的数字になったと云うことだった。その結果、2度のデノミネーションを経て、1000億ドルが10ドルになるという凄まじい経済的起伏も経験し、以来、ジンバブエ政府はジンバブエ・ドルに代えてアメリカドル、南アフリカランド、ユーロ、英ポンド、等を法定通貨にした。

 現在のジンバブエは比較的安定した状態にあると云うことだが、ここに来てついに「同国中央銀行は11日、事実上価値の無くなったジンバブエドルを米ドルに両替して回収すると発表。両替レートは実に、1ドル=3京5000兆ジンバブエ・ドルだ。」とロイター通信(2015年6月12日)が報じている。

 経済的情勢や「独立運動」や「内戦」等、ニュースやメディアの向こう側で使われている単語が、にわかにリアリティーを持って意識されるのを、私は感じざるを得なかった。ペタライトの価格に対する疑問は、如何ともし難い現実の一端にこのような形で触れる結果を招き、全く腑に落ちないまま、それが私の中に居座る事態を招いた。

 ただそこに存在するだけで、戦争を含む全ての事象と無関係ではいられないのが20世紀以降の私達の位置だ、という意味のことを書いたのは、20世紀後半時の埴谷雄高だったが、さらに加速する国際化とグローバル化で、あらゆる事象の境界がより曖昧になっているのが現在の姿だろう。例えば製造物を例にしてみれば、或る製造物を構成するたった一本の小さなピンに至るまで、その所在の境界と元を辿れば、それがどのメーカーで製造されたのか、そのピンを構成する原料鉱物はどこで採掘されたのか、或いはその原料鉱物を採掘するのに使用した重機はどのメーカー製で、その重機を構成する全ての部品はどのメーカー製で、その原料はどの鉱床産で、その鉱床で使用する重機はどのメーカー製で、と永遠に堂々巡りをしてしまい、ついにはそれを明らかにすることが出来ないという状況が私達の位置だ。それらは全て前述の国際化とグローバル化により、あらゆる攪乱を受けて世界に拡散し、無限に連鎖しているだろう。具体と抽象を問わず、好むと好まざるを問わず、また、多少を問わず、私達もその無限連鎖の関係性の一端ということになる。つまり私達とその生活を形成する意識や食物や道具やその他の全ては、その相互作用の中にある。そういう意味で、私とジンバブエは紛れもなく無関係ではない。今回の件では、その当たり前の現実を突きつけられたような気がした。

 今回、原料の在庫切れに伴ってペタライトの見積もりを依頼したところ、「為替と原料価格が大幅に上がっており、単価が高くなっております。」とのコメントと共に、驚くほどの値段を提示された。その価格については、ジンバブエのインフレが原因だという意味のことが書かれている文献もあり、また、ペタライトの日本国内に於ける独占販売状態が原因だという意味のことが書かれている文献もある。付け加えれば、リチウム電池生産量の拡大につれて、リチウム資源の需要が増大している現状も、このことと無関係とは云えないだろう(但し、リチウム電池には、ペタライト以外のリチウム原料、例えば炭酸リチウム等を使用するらしい)。それが米ドルと日本円で取引されているであろうということは推測できるけれども、1米ドル=3京5000兆ジンバブエ・ドルという経済状況の国の輸出品であるペタライトが、どのような経緯で日本に輸入され販売されているのか、実際のところは、経済に疎い私には不明だが、日本におけるその販売価格がさらに高騰しないように、また、情勢の変化でその輸出入が中止されないように祈るばかりだ。

 ペタライトの価格上昇は、当然のことながら土鍋を制作する作家(又は企業)の、コストに対する不安を呼ぶことになる。個人から企業に至るまで多数が活動する陶磁器産地には、公的な窯業技術研究機関がある。そしていくつかの研究機関は、ペタライトの代替原料を開発するという形で、価格高騰の対策をすでに講じている。これらの地域で活動する作家(もしくは企業)は、その地域の公的機関が開発した研究成果を、支援という形で利用することが出来る。けれどもその窯業技術機関が存在する産地外(県外)で活動する作家(や企業)に、その研究成果を直接的に利用する術は無い。

 さて、ペタライトをめぐって話を進めてきたが、内容は、陶磁器産地と公的窯業技術機関と産地外の陶磁器制作者との関係へと移ってきた。この周辺のことでも思うことはあるのだが、それはまた別の話なので、今回はここで終わりにさせていただく。とにかく、悪あがきはこのくらいにしてペタライトを購入しなければ仕事が進まない・・・。