「炊飯用にしたいのでもう一つ土鍋がほしい」、と私製の土鍋を使ってくれている友人に言ってもらったのをきっかけに、炊飯に適する土鍋を試作し始めたところ、ずいぶん時間が経ってしまった。その言葉は、炊飯用に使う土鍋を私製の現行品の中からもうひとつ欲しい、という意味だったが、あらためて言われて私も考えてしまった。「炊飯専用にするならそれに適した鍋のほうがいいのでは?」と。けれども炊飯に特化した土鍋は既に多く出回っていて、新たにそれを私が作る必要と余地は少ないだろうと思われ、また炊飯用の鍋が無くてもご飯は炊けるだろうなどとも思ったりで結論をすぐには出せなかった。ただその言葉は有り難い限りで、それに応えたいという思いは根強く私にあった。
白米炊飯の方法には多くの優れた研究がある。それらの研究から導かれた炊飯理論を応用すれば鍋を問わず美味しいご飯を炊くことは可能だと思われる。「土鍋で炊いたご飯は美味しい」、あるいは「かまどで炊いたご飯が一番美味しい」という意味の言葉に触れることは、メディア上でも実生活上でも(私の場合)少なくないけれども、これはより正確には、「土鍋で上手に炊けたご飯は美味しい」、あるいは「かまどで上手に炊けたご飯は美味しい」と言うべきだろう。あたり前のことだが、使用する熱源や鍋に応じた適切な炊飯操作ができなければ美味しいごはんを炊くことはできない。逆に、適切な料理操作を行なうことができれば、熱源や鍋の種類にかかわらず、美味しいごはんを炊くことは可能だ。それ以前に、使用する米の質も大きな要素だが、今そのことは置いておく。
わが家にはこの20年ほど、炊飯器が無い。そして三度の食事には、ほぼお米を食べている。妻は当然のようにガスコンロを使って鍋でご飯を炊いてきた。それが今回の仕事を始めてから、日々のごはん炊きは私の担当になった。炊飯に関して私が参考にさせていただいているのは専門家の方々の研究報告だ。そのきっかけは『調理と理論』(同文書院)という本だった。この本の中に「炊飯の理論」という項目があり、そこに基本的な炊飯方法とその理論的根拠となる出典が記されている。ネット環境が身近になった今、手軽にアクセス可能な資料文献もある。美味しいごはんを炊く方法の目安は、それらの優れた研究によって明らかになっている。気になる方はご自分でそれらの文献に当たってみられることをお勧めしたい。
現在わが家で使っているガスコンロには「炊飯モード」がある。これはコンロ上に鍋を置き、点火と火力設定をして炊飯ボタンを押せば自動的にコンロが火力を調整し、炊飯が終わると消火する機能だ。炊飯モードは土鍋では機能しないということなので普段わが家で使うことはないけれども、今回、一連の流れで、金属鍋による炊飯モード実験を行なった。まずステンレスの多層鍋を使って炊いてみると、とても美味しく炊けることが分かった。同じメーカー製の大きさの違う鍋で炊飯量を変えて試しても、また、手頃な価格で出回っている薄手のアルマイト製鍋で試してみても、やはり同様においしく炊けるのだ。「機械、恐るべし」とでも言うべきか。この時点で「(炊飯は)これでいいのでは?」とも思ったのだが、出まわっているすべてのコンロに炊飯モードが付いているわけではないということに思い至ったのと、折りしも新型土鍋の開発中だったので、その一環として作業を進められたこと、また、繰り返す試作の過程で、ある程度の手応えを感じることができたこと、などの理由で仕事を続けることができた。
「鍋」や「炊飯」とそれに付随するさまざまに対して、その濃淡や有無をも含めてどんな「思い」を抱いているのか。その内容によって選ぶ鍋は変わってくると思う。電気やガスの炊飯器、金属鍋、土鍋など、さまざまな鍋が炊飯に使われていて、そのいずれにも長所と短所がある。けれどもその長所と短所は、客観的な事実であると同時に、一方で主観的な要素でもある。自動炊飯に価値があるのと同じように、手をかけて炊くことにも意味はあり、必ずしも利便性のみでその選択が為されるとは限らないだろう。
気に入った鍋を使って上手に炊けたご飯を食べれば気分もいい。お気に入りの鍋を使うことの良さは、そこにこそあるのだと思う。
- 鍋でご飯を炊くこと
- 遠赤外線の利用分野と土鍋
- 経済との関わり
- 遠赤外線と土鍋
- 「耐熱」とオーブンと直火
- 耐熱衝撃性セラミックスの性質とほっち土鍋
- 耐熱衝撃性セラミックスの性質
- 耐熱衝撃性セラミックスの変遷
- ほっち土鍋の位置
- 食卓での土鍋
- 土鍋の起源と金属鍋