土鍋を制作する際の主要原料のひとつであるペタライトは、アフリカのジンバブエから輸入されている。以前はブラジル産ペタライトも輸入されていたが、現在、ブラジル産の輸入は行なわれていない。ペタライトの最大の特徴であるリチウムの含有量は、ブラジル産よりもジンバブエ産の方が僅かに多い。ブラジル産は価格が低めで、私のような超零細個人には有り難い存在だった。
私が土鍋を作り始めた頃、すでに国内における主要流通品はジンバブエ産だった。陶磁原料店経由でペタライトを使い始めていた私も、当初はジンバブエ産を使用していた。或る時、他にブラジル産が流通していることを知り、輸入販売元にその旨を問い合わせた。すると大阪に本社を構えるその会社の東京支店の方が、資料を持って群馬の私の工房まで足を運んで下さった。以来その会社と取引をさせていただいているが、何年か前、ブラジル産ペタライトの取り扱いが無くなるとの知らせを受けた。理由は、「輸入を辞める」からと云うことだった。国内の主要流通品はジンバブエ産で、ブラジル産は売れ行きが芳しくなかったようだった。
けれどもこの話は少なからず私を落胆させた。ブラジル産ペタライトを知った当初、そのサンプルを入手した私は、それまでの(ジンバブエ産ペタライトを使用して制作していた)土鍋と同様のモノがブラジル産ペタライトを使用して作れるか否かを、時間をかけてテストし、同様の土鍋を作ることが可能であることを確かめて購入を決めたのだった。価格が低いにも拘わらず高性能な土鍋を作ることが出来るブラジル産ペタライトを、もちろん私は気に入っていた。しかしながら「輸入を辞める」という取引先の決定を受け入れる以外に私に術は無く、長いこと使用し続けたブラジル産ペタライトから、ジンバブエ産ペタライトに再び移行することになったのだが、こちらは、やはり価格が今までの物より高かった。しかも購入するたびに値段は上がり続け、現在は大幅に高く推移している。
そのあたりの由来に興味を持ち、「Wikipedia」でジンバブエ関連を調べてみた私は、別の意味でため息をつくことになった。植民地支配と人種差別、独立運動と内戦、強権政治と人権抑圧、経済危機とハイパーインフレなどの様々がそこに記され、さらに2007年に「先例のない経済崩壊」と評されたジンバブエ経済のインフレ率は2009年には、「6.5×10108(6,500,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000)%」
という天文学的数字になったと云うことだった。その結果、2度のデノミネーションを経て、1000億ドルが10ドルになるという凄まじい経済的起伏も経験し、以来、ジンバブエ政府はジンバブエ・ドルに代えてアメリカドル、南アフリカランド、ユーロ、英ポンド、等を法定通貨にした。
現在のジンバブエは比較的安定した状態にあると云うことだが、ここに来てついに「同国中央銀行は11日、事実上価値の無くなったジンバブエドルを米ドルに両替して回収すると発表。両替レートは実に、1ドル=3京5000兆ジンバブエ・ドルだ。」とロイター通信(2015年6月12日)が報じている。
経済的情勢や「独立運動」や「内戦」等、ニュースやメディアの向こう側で使われている単語が、にわかにリアリティーを持って意識されるのを、私は感じざるを得なかった。ペタライトの価格に対する疑問は、如何ともし難い現実の一端にこのような形で触れる結果を招き、全く腑に落ちないまま、それが私の中に居座る事態を招いた。
ただそこに存在するだけで、戦争を含む全ての事象と無関係ではいられないのが20世紀以降の私達の位置だ、という意味のことを書いたのは、20世紀後半時の埴谷雄高だったが、さらに加速する国際化とグローバル化で、あらゆる事象の境界がより曖昧になっているのが現在の姿だろう。例えば製造物を例にしてみれば、或る製造物を構成するたった一本の小さなピンに至るまで、その所在の境界と元を辿れば、それがどのメーカーで製造されたのか、そのピンを構成する原料鉱物はどこで採掘されたのか、或いはその原料鉱物を採掘するのに使用した重機はどのメーカー製で、その重機を構成する全ての部品はどのメーカー製で、その原料はどの鉱床産で、その鉱床で使用する重機はどのメーカー製で、と永遠に堂々巡りをしてしまい、ついにはそれを明らかにすることが出来ないという状況が私達の位置だ。それらは全て前述の国際化とグローバル化により、あらゆる攪乱を受けて世界に拡散し、無限に連鎖しているだろう。具体と抽象を問わず、好むと好まざるを問わず、また、多少を問わず、私達もその無限連鎖の関係性の一端ということになる。つまり私達とその生活を形成する意識や食物や道具やその他の全ては、その相互作用の中にある。そういう意味で、ジンバブエと私は紛れもなく無関係ではない。今回の件では、その当たり前の現実を突きつけられたような気がした。
今回、原料の在庫切れに伴ってペタライトの見積もりを依頼したところ、「為替と原料価格が大幅に上がっており、単価が高くなっております。」とのコメントと共に、驚くほどの値段を提示された。その価格については、ジンバブエのインフレが原因だという意味のことが書かれている文献もあり、また、ペタライトの日本国内に於ける独占販売状態が原因だという意味のことが書かれている文献もある。付け加えれば、リチウム電池生産量の拡大につれて、リチウム資源の需要が増大している現状も、このことと無関係とは云えないだろう(但し、リチウム電池には、ペタライト以外のリチウム原料を使用するらしい)。それが米ドルと日本円で取引されているであろうということは推測できるけれども、1米ドル=3京5000兆ジンバブエ・ドルという経済状況の国の輸出品であるペタライトが、どのような経緯で日本に輸入され販売されているのか、実際のところは、経済に疎い私には不明だが、日本におけるその販売価格がさらに高騰しないように、また、情勢の変化でその輸出入が中止されないように祈るばかりだ。
ペタライトの価格上昇は、当然のことながら土鍋を制作する作家(又は企業)の、コストに対する不安を呼ぶことになる。個人から企業に至るまで多数が活動する陶磁器産地には、公的な窯業技術研究機関がある。そしていくつかの研究機関は、ペタライトの代替原料を開発するという形で、価格高騰の対策をすでに講じている。これらの地域で活動する作家(もしくは企業)は、その地域の公的機関が開発した研究成果を、支援という形で利用することが出来る。けれどもその窯業技術機関が存在する産地外(県外)で活動する作家(や企業)に、その研究成果を直接的に利用する術は無い。
さて、ペタライトをめぐって話を進めてきたが、内容は、陶磁器産地と公的窯業技術機関と産地外の陶磁器制作者との関係へと移ってきた。この周辺のことでも思うことはあるのだが、それはまた別の話なので、今回はここで終わりにさせていただく。とにかく、悪あがきはこのくらいにしてペタライトを購入しなければ仕事が進まない・・・。