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耐熱衝撃性セラミックスの性質とほっち土鍋

 土鍋の耐久性は、耐熱性よりも、急激な温度変化への耐性である耐熱衝撃性に負うところが多く、耐熱衝撃性は、素地の熱膨張の大小に主に関わる。既に述べたように、基本的には熱膨張が小さいほど熱衝撃に強くなり、土鍋としての耐久性が増すと云うことが出来る。

 一般にセラミックスは、含まれる石英がα型からβ型に転移するため、600℃~700℃付近で急激に膨張する。また、通常、内容物が入った状態でのガス加熱時の土鍋底裏の温度は300℃以下で、空焚きの状態での土鍋底裏の最高温度は700℃以下だ。したがってもしも空焚きをしてしまった場合、石英の転移点を超えて鍋底裏の温度が上がってしまう可能性があり、土鍋の場合、この転移による異常膨張が空焚き時の破損の原因にもなる。だから土鍋では、その素地と釉は、熱膨張が小さく、可能ならば転移点を持たない方が良いということになる。つまり土鍋素地と釉に石英の転移ピークがあると、空焚き時に土鍋が破損する可能性が高くなると言える。

 参考までにほっち製片手土鍋素地と釉の熱膨張曲線グラフ(2014年4月現在)を付けてみた。これは土鍋素地と釉薬の熱膨張曲線グラフで、比較のために、主に食器として使用されている、或る磁器のデータを添付してある。一番上に一本伸びている線がその磁器の線、下側の2本の線は、上が土鍋素地の線で下が土鍋用釉薬(F釉)の線となっている。この磁器の曲線を見ると、600℃の少し手前にピークがあり、石英の転移点を示している。けれども土鍋素地とF釉の曲線を見ると、600℃~700℃付近に、転移による異常膨張を示すピークが無いのが分かる。

 かなりアバウトな話で恐縮だが、図の磁器も含めて、食器などに使用されている一般的な陶磁器の熱膨張係数は、600℃程の時に5×10-6~7×10-6程度になることが多い。また、普通は、熱膨張係数3×10-6以下を示すモノが耐熱衝撃性セラミックスと言われる場合が多い。

 この「○×10-6」というのは熱膨張係数で、例えばガラスの場合は「○×10-7」になったりする。どこを見るかというと、「○」の数字を見る。この「○」の数字が小さいほど熱膨張が小さいということになる。

 あまり資料を付けるとかえって分かりにくくなってしまうこともあるので他のデータは付けていないが、図に添付した磁器の600℃時の熱膨張率は0,423%で、熱膨張係数は7.56×10-6、Hotch製片手土鍋素地の600℃時のそれは0.056%で、熱膨張係数は1.01×10-6となっている。だからこの土鍋素地の熱膨張は、この磁器の7.5分の1程度ということになる。更にその熱膨張曲線は滑らかで、石英の転移による異常膨張を示していない。このことから、この素地と釉が、空焚きに対する優れた抵抗性を備えていることが分かる。

 


 

耐熱衝撃性セラミックスの性質

 例えばリチア素地と一口に言っても、使用原料や調合量や製造方法は無限のバリエーションを持つ。だから自分の思い通りのモノを作るのは簡単なことではない。優れた性能を備えた土鍋用の市販素地もあると思うが、それで思い通りのモノが出来るとは限らない。・・・私の場合は、求める性質を得るために、原料を入手し、調合を行い、自分で素地を制作している。何年にも亘(わた)って延々と行なってきた素地や釉薬の検証は今も続けている。そのために公的試験機関のお世話にもなっている。

 高い頻度で使われる日常使いの土鍋は、強度や耐久性を保持しつつ使い勝手に優れていた方がいい。だから設計上も過不足のない性能と形状が求められる。ある機能を伸ばすと、必ず別の機能が損なわれるという現象が起こるため、製品は微妙なバランス感覚の上で制作することになる。

 “技術的”に見れば、土鍋に要求される性質の最も基本的な要素は低膨張性ということだ。”耐熱”或いは”耐熱性”という言葉は、高い温度に耐えるという意味と急激な温度変化に耐えるという意味の二通りに使われるが、土鍋に必要なのは後者の急激な温度変化に耐える性質だ。この性質を「耐熱衝撃性」という。セラミックスの場合、基本的には素地を低膨張にすることによって耐熱衝撃性が高まる。それを利用して耐久性に優れた土鍋を制作することも可能になる。

 セラミックスの耐熱衝撃性は、機械的強度・靱性・熱伝導度・熱膨張などに影響される。セラミックスは金属に比べて熱伝導度・靱性・に劣る。だから、急激な温度変化を受けると、その部分と他の部分に温度差が生じ、そこに熱膨張差による容積変化が起こる。この容積変化の歪みが大きくなり、素地がそれに耐えられなくなった時、破壊が起こる。これが熱衝撃破壊であり、それに対する抵抗性の高いものが耐熱衝撃性セラミックスだ。

 もしも仮に熱膨張値の大きな素地を使用した土鍋でも、その素地が熱伝導性に極めて優れていたとすれば、鍋底を加熱した際、瞬時にその熱変化が土鍋の隅々にまで及び、膨張が均等に発生するので、容積変化による歪みは起こらず、熱衝撃破壊は起こらないということになる。また、金属のような靱性が土鍋に備わっていれば、当然、加熱・冷却時の破壊も起こらない。けれども残念ながらそのような性質はセラミックスには備わっていない。熱衝撃破壊を回避するもうひとつの方法は、加熱時の膨張を小さくして容積変化による歪みを減らすという事で、セラミックスはこの方法を選ばざるを得ない。そこで低膨張セラミックスが必要となる。

 


 

耐熱衝撃性セラミックスの変遷

 ”技術史的”に見れば、私は「今」に存在していて幸運だったと言うべきかもしれない。何故なら、まだまだ完成されているとは言い難いけれども、低膨張セラミックスというモノがあり、それを利用できる環境があったのだから。  先にも述べたように土鍋の起源は土器の起源そのものでもあり、それは当然セラミックスの起源でもある。1万6000年前に始まったというセラミックスの歴史は、世界各国で様々な要因により千差万別の形態で進化を遂げてきた。

 窯が進化する以前に使用されていた原初の土鍋は、野焼き(オープンピット)によって焼成されている。それは必然的に低火度焼成となり、未焼結の素地は多孔質で吸水性に富み、硬質ではなかった。そのため直火での使用に耐え、調理器具として使用することが可能だったと考えられる。但しこの土鍋が現在作られている土鍋と同様のモノだったかというと、それは全く別物だった。過剰な吸水性によって、煮炊きの効率は良くなかっただろうし、また耐熱性も優れているとは言えなかった筈だ。熱源は焚火であったろうから、それほど急激で強い温度変化に曝されることは無かったかもしれないが、それでも暫く使ったらひび割れて別の物と取り換えるという事を繰り返していたと推測できる。そしてこの原始的な土鍋は、時を経て窯の構造が改良され、より高温で釉薬を掛けて焼成される等の進化はするものの、その基本的な性質を変えることなく1万数千年に亘って使われてきたと考えられる。

 1770年にギオゲットが最初にコーディエライトセラミックスを作り、1929年にシンガーとコーンが低熱膨張のコーディエライトセラミックスを作った。ここに初めて優れた耐熱衝撃性を備えたセラミックスが出現したということになる。だからそれ以前に作られたすべての土鍋は、必然的に前述の原始的な土鍋の範疇に入ると考えられる。その後、コーディエライトセラミックスは工業分野で広く使用される素材となり、現在も自動車やストーブの排気ガス触媒のハニカムセラミックス等に使われている。そしてこの素材は、その後リチア素地が出現するまで、土鍋や耐熱食器の主流にもなった。

 1948年アメリカのハンメルはペタライト質素地の低膨張性を発見し、また、ロイとオズボーンは1949年にリチウムを使用して低膨張素地が得られることを考えた。ここにリチア素地が発明され、コーディエライトセラミックスよりも更に低膨張のセラミックスが誕生した。そして現在はその低膨張素地を利用できる環境が個人にも開かれている。そんなことで、私もその恩恵にあずかることが出来たという現実が一方にある。

 より広い視野で見れば、耐熱衝撃性セラミックスは上述の物だけではない。機能性セラミックスやファインセラミックスの中にもその性質を備えた物がある。例えばチタン酸アルミニウムや窒化ケイ素などがその主な物だ。けれどもこれらの素材が土鍋に使用されることは通常無いので、これらについては又別の機会に書ければ、と思っている。

 


 

ほっち土鍋の位置

  焼き物を作っている私が鍋を作るならば、まずは土鍋を作るということになる。ステンレスや鋳鉄の鍋を作ることは、とりあえず今、私にはできない。以前、いわゆる“自然食系”の料理教室に通っていた妻が、そこではすべての調理が土鍋で行なわれているということ、またその教室の先生の一人は自宅でも土鍋しか使わないということを私に教えてくれた。日々の料理に土鍋しか使わないという人がいる事を知り、私は少なからず驚いた。そして「土鍋を作ってほしい」と妻から頼まれた私は、その言葉を受けて、日常使いに適した土鍋を作ることを決めた。「毎日使うには、いま出回っている土鍋では不便だろう」と私には思われた。

 鍋料理用の土鍋には形の類似性がある。その形には歴史があり意味があるのだろう。例えば金属よりも衝撃に弱いから厚く作る、硬い物に強く当てれば欠けやすいから持ち手はあまり出っ張らせない、制作に無理がなく、具材が見やすくて取り出しやすいように全体を浅くする、熱が均等に回り、熱膨張差による破損が起きにくいように底には丸みを持たせる、といった感じだろうか。

 けれども私は敢えて別の方向を選んだ。それを日常使いの為の道具として捉え、その為の利便性を第一に措定すれば、そこには別の”理”が在るのではないのか・・・。「それを探って形にしてみたい」と私は思った。土鍋を作るということについて、まずは、それ以外に自分のやるべき事があるとは私には思えなかった。

 さて然しこれまで書いてきたことは、凡そ土鍋というモノに対する一般的な概念の中での話だ。  それでは私が作っている土鍋は今まで述べてきた鍋料理用の土鍋と同じモノなのかと言うと、「同じではない」と言わざるを得ない。何故ならそれは、食卓で使う土鍋ではなく、キッチンで使う調理道具としての土鍋なのだから。別の言い方をすれば、それは鍋料理用の土鍋とは使用方法が異なる土鍋であり、またキッチンで使う日常使い用の(金属)鍋とは素材が異なる鍋(土鍋)だということになる。それは、“鍋料理用の土鍋”の概念では捉えきれない性質を含んでおり、また、日常使いの金属製鍋の概念で捉えることも出来ない性質を持っていると言えるだろう。

 


 

食卓での土鍋

 なぜそこで土鍋が使われているのかということを、より明確に知るには、歴史を知る必要があるだろう。文化史的に見れば時どきの社会構造や生活様式による起源と変遷が土鍋にも当然あると思われる。“食卓での土鍋料理”という現在の形態は、その様々な変化の中で発生し、生き残ってきたものだろう。けれどもそれを語るということは、土鍋のみならず、鍋料理、ひいては食文化全般の歴史を語るという事にほかならず、今の私にその知見は到底ない。またこの文も食文化を語る目的で書いているのではない。そのことについては他の優れた文献等を参照していただくとして、私なりに話を進めたい。

 なぜそこで土鍋が使われているのかについては、いろいろな考え方ができると思うが、敢えて言わせてもらうならばその理由の一つは、やはり土鍋料理が美味しいという認識があるからだと思う。食卓で鍋料理を食べながら、その場が楽しく、その料理が美味しくて、「鍋料理っていいなぁ」と思ったとすれば、その人はその歴史をまさに体現しているのであり、その変遷の知識など無くても、“鍋料理と鍋料理用の土鍋とそれを取り巻くさまざま”を理解している筈だ。

 また更に言えば、キッチンではなく食卓で食器と一緒に並べ置かれて使用される土鍋を、食器として認識する心理が働いている、という考え方があることも否めないだろう。食器もまた様々な変遷を経て今に至っており、いくつもの素材が使われている現在だが、最も多く使われているのが陶磁器だという事に異論は無いとすれば食卓で使われる鍋料理用の鍋の素材は金属ではなく陶磁器、つまり“土鍋”が最も多いということにもなる。  とはいえ、「土鍋を食器として認識する」という類の心理は、そのモノ(土鍋)を思い浮かべる側のイメージと、そのモノ(土鍋)が備えている性質によって限定され、全ての人と土鍋に及ぶものではないだろう。