道具としての機能性を最大限に追求したモノの性質や形状は自ずと決まります。機能というものは「普遍性」を持っているからです。但し、何に重きを置くのかということには選択がありますから、そういう意味では機能の形態も千差万別だと云えるでしょう。土鍋は道具ですから、道具としての機能性を追求することは私の中では自然な流れでした。けれども一個人の力でそれを完遂できる筈も無く、迷走は続き、行き詰まった私は前回の個展で苦し紛れに『幻視』という土鍋を作ることになった訳です。それは、「呻き」のようなものだったのかもしれませんが、制作時には、機能の呪縛から或る程度は自由になることを実感することが出来ました。(2015年3月 ぎゃらりーFROMまえばし『堀地幸次 土鍋展』挨拶文より抜粋)