「畑や生き物のことなど」カテゴリーアーカイブ

予想外のこと

 畑のサツマイモを収穫した。まず株もとの適当な外縁部にスコップを差し入れ、少しだけスコップを返して土を緩めてから手で芋を掘るという手順で作業をした。いつもは購入苗を植えるのだが、今年は、知人が作った苗をいただいて植えたサツマイモだ。品種は3種類あったが、気にしていなかったので、どこに何を植えたのか、或いは何が何株あったのか覚えていない。

 掘り始めると、その畝は安納芋がメインで、予想以上に出来が良かった。何株か堀り上げ、次の株に移り、例によってスコップを外縁部に差し入れた時、スコップが半分ほど土に刺さった時点で不意に抵抗を感じ、それ以上刃が進まなくなった。とっさに「石に当たったんだな」と思い、石の大きさを探ろうと、スコップでその周辺をまさぐった。しかし、石ならば手に固い感触が伝わりゴリゴリと音がするはずなのに、音もせず、なんだか柔らかい感触が伝わってきた。「あれっ」と思いスコップを抜いた瞬間、その部分の土がゆらゆらと揺れた。「何か出てくる!」と思って息を呑んでみつめていると、土の中から大きなヒキガエルが現われた。写真ではわかりにくいが、20cm程もある大物だ。背中に斜めにスコップの刃の跡がついているのが分かるだろうか。

 思わず「お前大丈夫か?」と声をかけたが、さすがにスコップの刃の攻撃は強力だったとみえて、体を膨らませて威嚇のポーズをとったカエル君はじっとして動かない。少し触ってみると、逃げようとしたので、動けることがわかりほっとしたが、カエル君はさらに体を膨らませて厳戒態勢だ。サツマイモの葉が茂るこの場所には、スズメガやその他の幼虫が多く居るので、夏の間ここでそれらを食べ、気温が下がってきて冬眠に入ったところなのか。  より安全な茂みにそっと放し、しばらくして見に行くとカエル君は居なくなっていた。元気に春を迎えられるとよいのだが。

 

 

薪作りとヤマトタマムシ

 工房前の庭で作業をしていた時、胸元に何かの虫がとまっている気配を感じ、驚いて思わず手で払うと、足元に落ちたのはヤマトタマムシだった。手にとってみると、突然払われてショックを受けたのか、タマムシは動かないままだったが、しばらくするとやがて元気に動き始めた。  サイトが消えてしまったPCのトラブルで日付は確認できないが、以前もタマムシのことを書いたのを覚えている。

※「サイトの消失と再開について」参照

  タマムシの生態に詳しくはないので少し調べてみた。『群馬県レッドデータブック 動物編 2012年改訂版』によると、ヤマトタマムシは群馬県では「準絶滅危惧」というカテゴリーに分類されている。全国的にも個体数は減少傾向にあるようで、他の都県などでも種々の「絶滅危惧」カテゴリーに分類されているようだ。また、ネット検索で「タマムシ愛好会」というサイトを見つけ、参考にさせていただいた。同レッドデータブックと「タマムシ愛好会」のサイトによると、

  • ヤマトタマムシの生息域は、平地帯 亜山地帯 夏緑広葉樹林 住宅地公園 里山など。
  • エノキ、ケヤキ、カシ、ナラ、クヌギ、ハリエンジュ、サクラ、オニグルミ、カキ、など各種広葉樹の半枯れ部、伐採木、伐採直後の切り株、等に産卵する。
  • 幼虫は産卵された樹を食餌し、食餌内容や成育環境によって、2年から4年程で羽化する。
  • 成虫はエノキ、ケヤキの葉を後食する。
  • 生息域の開発行為、農薬汚染、朽木や倒木の回収や撤去、樹木の枯死対策のための消毒などにより、個体数が減少している。

ということだ。詳しく知りたい方は「タマムシ愛好会」というサイトを見ていただければ、と思う。

 主に窯焚きとストーブと風呂に使用する薪を、私は原木から作っている。薪割りの際にいろいろな虫が木の中から出てくるのは珍しいことではなく、それがどのような意味を持つのかを考えたことはこれまで特になかった。けれどもヤマトタマムシが準絶滅危惧種だと知ったのをきっかけに、少しその意味を考えてみた。

   このタマムシはどんな経緯でこの場所にやってきたのか。積み置いている原木に幼虫がいたのならば、その原木の元の所在地にタマムシが生息していたことになる。また産卵のためにこの場所に成虫が飛んできたのならば、この近くにタマムシの生息場所があることになる。けれどもその場合、どうしてその生息場所で産卵しないのか、と疑問が残る。だからどちらかというと、原木中に生息していた幼虫が羽化した可能性が高い。つまり原木の搬入時、原木中にいたタマムシを一緒に連れてきたことになる。そう言えば、胴部?に比べて頭部が急に大きくなっているカミキリムシの幼虫に似た幼虫を、薪割り時に多く見かけていた。いま思えば、あれがヤマトタマムシの幼虫だったのだと思う。迂闊な私はそれを調べずにカミキリの幼虫の一種だろうぐらいに思っていた。

  私が原木を入手する場所は様々だが、その一つとして造園屋さんの木の置き場がある。また、その時々で声をかけていただき、屋敷林や空き地など様々な場所から、木を運ぶことになる。そのいずれもが必要に迫られて伐採された木々だ。私がもらい受けなければこれらの木々は処分されてしまうのだから、引き取って私の所に置いておけば、タマムシの生息にとってプラスに作用するようにも思えるが、実はそうとも限らない。

 私の所に運び込まれれば、1年から数年以内に燃料としてその木は消費される。けれども木の伐採場所では、伐った木を片付けないケースもある。またその造園屋さんの原木置き場でも、太い木はずっとその場所に置きっぱなしになっている。先に書いたように、ヤマトタマムシの幼虫は「産卵された樹を食餌し、食餌内容や成育環境によって、2年から4年程で羽化する」ということなので、元の場所に木が放置され続ければ、より長い期間、タマムシはそこに産卵して生きられるだろう。ただしやはり先に書いたように、ヤマトタマムシは「エノキ、ケヤキ、カシ、ナラ、クヌギ、ハリエンジュ、サクラ、オニグルミ、カキ、など各種広葉樹」に産卵するけれども、「成虫はエノキ、ケヤキの葉を後食する」らしい。つまり産卵樹種(幼虫が食べる樹種)と後食樹種(成虫が食べる樹種)とが異なる場合もある。もし仮に産卵樹種と後食樹種とが異なっていた場合、羽化した成虫は後食樹種が葉を茂らせている場所へ移動しなければ生きられないだろう。さらにタマムシは「各種広葉樹の半枯れ部、伐採木、伐採直後の切り株、等に産卵する」ので、条件が整わなければ産卵できないかもしれない。総体としての自然環境の豊かさが生息には必要だ。

 環境の深化という方向性を持った個別具体的な変化がなければ、総体としての自然環境の深化はあり得ない。だからたとえ小さなことでも、その時々に気付いたことや出来ることを大切にしたい。都市や住宅地や畑作地帯では、街路樹や緑地、あるいはビオトープなどの保存と新たな創出が必要だろう。ある生物の生息場所を一つの「点」として、その行動範囲内に「点」が複数あればその生物の生息の可能性は大きく広がることになる。今回のことで言えば、タマムシを見つけた工房の木の置き場は、その「点」ということになる。造園屋さんの原木置き場も、伐採された樫の大木がある空き地も、伐られた原木が山積みになっている屋敷林も、同じように大切な大小の「点」だ。しかしながら私の生活圏を概観してもこれらの「点」は甚だしく不足しているように思えるし、現実的にそれを増やす術も今の私には思い浮かべられない。残念ながらこの場所に運ばれてきたタマムシが生息し続ける可能性は低い、と考えざるを得ない。  たとえ「都市や住宅地や畑作地帯」にあっても、小さな生き物が行き来できる距離に、それぞれが生きられる環境が当たり前のように点在する社会になればいいなぁ、と思うけれども、これはやはり難しいことか。

 ヤマトタマムシが準絶滅危惧種だと知ったのをきっかけに、薪作りに関わる自らの行動や、普段、当たり前に身を置いている環境が、生態系と密接に関係していることを改めて自覚し、目が覚める思いがした。私の意識を遥かに超えて動いている昆虫のセンサーと自然界のダイナミズムに感嘆せざるを得ない。私自身もセンサーを敏感に働かせ、「一を聞いて十を知る」というような広い視野で目の前の事物を見据えていきたいと思うが、それは簡単なことではないだろう。

 

「植物と植物を植える器」展

植木鉢の実験的アプローチ

 私が植物と鉢植えについて思っていることは、「植物は自ら生きる」というあたりまえのことです。  西洋の一般的なガーデニングの概念では、鉢植えは、植物をそれぞれの目的に応じて最大の効率で成長させるということに主眼を置いて捉えられていると思います。そこでは、植物の種類や性質に応じて、鉢の形状や大きさ・培養土と肥料の性質・管理の方法・等を総合的に判断して栽培プロセスを組み立ててゆきます。ですからそのプロセスは極めて分析的で科学的なものです。
 けれども、ひとたび目を外に向けて道端や野山で自生している植物を観察してみれば、自然の営みが人間の想像力を遥かに超えたところで動いていることは明確で、いかに不適で過酷な環境に自らが芽生えてしまったとしても、植物は、自ら生を得たその場所を変えることはできず、又、そこで自らの生を潔く全うしています。
 数年前にあらためてこのことを再認識してから、私の意識の底には常にこの逞しい植物の姿が存在し続け、折にふれ様々な場面で意識の表層に浮かび上がってきたりしていました。科学的な栽培プロセスという限定された概念の中でのみ植木鉢を制作しなければならないということに息苦しさを覚え始めていた私の中に、そんな或る時、あるイメージが忽然と閃きました。「それならば器というものに限定される必要はないではないか」と。  ここから今回の実験的なアプローチは始まりました。
 西洋的な視点からのみ園芸を捉えていたそれまでの私に、偶然にもそのころ一つの出会いがありました。それは、日本の園芸の重要な流れを占める盆栽の世界ではごくありふれたことなのですが、陶板の上に植物を植える栽培方法との出会いです。器の水抜き穴から水を抜くという栽培概念にとらわれていた私は、器から水を抜かないという栽培に非常に強い驚きを覚えました。無論、ハイドロカルチャーの存在は私も知っていますが、この陶板植えという方法は、ハイドロカルチャーとは根本的な考え方が全く違っています。根毛と培養土の性質とイオン交換作用までをも分析するという優れた科学的手法であるハイドロカルチャーに対して、陶板植えの方法は、一見、拍子抜けする程あっけなくその問題を乗り越えてしまっています。又、さらに最近もう一つの出会いがありました。それは「根洗い」との出会いでした。これも盆栽の世界ではありふれた栽培方法ですが、この根洗いに於いては、ついに鉢は消失してしまっているのです。
 盆栽の世界の幅広さというよりも、日本的精神の神髄をそこに見たように思い、私は感動しました。そして無性に嬉しくなりました。この不完全な完全さとでも云いたくなるような性質を持った「陶板植え」という方法と、器という概念を超越した「根洗い」という方法、さらにはそれらと同一線上にある「苔玉」という方法は、日本人の自然に対する或る特徴的な世界観を反映しているように思えてなりません。そしてその概念に共感できる自分を自身が発見してゆく過程は、同時に又、植木鉢に対して私がそれまで抱いていた概念の私自身の中での崩壊と、新たな概念の萌芽を実感させてくれる過程でもありました。

 確かに植物はそこにみずから生きているのです。これで私は「植木鉢」という概念から、より自由になれる。  これが私の出した結論です。そのため、今回の展覧会での一部の作品は甚だ実験的要素の強いものとなりました。人為と自然の妙。けれどもそれらは所詮わたしの無邪気な実験です。そして今回は、パートナー石川治子さんのお力をお借りして、かろうじて形あるものにできたことを喜んでいます。(2006年 モギギャラリー 石川治子/堀地幸次「植物と植物を植える器」展 挨拶文より)