「木や花など」カテゴリーアーカイブ

無患子(むくろじ)

 たわわに花を咲かせた桜が植えめぐらされた小高い丘でのできごとです。屋根付きの座台も置かれていてとても気持ちのいい空間になっている一角に腰かけてのお花見となりました。桜の木々越しに広がる田園風景を垣間見れるこの場所は、とある霊廟の広場ということです。 
 私よりも年長と思しき一人のご婦人が、傍らを通り過ぎて広場をひとまわりした後、一本の桜の木に触れはじめました。両手のひらでそっと撫でながら木に語りかけています。見るともなく見ていると、やがて一歩下がって木に向き合い、両手を合わせてしばし祈った後、いつしか視界から消えていました。
 しばらくしてまたふと気づくと、その方が歩み寄って話しかけてきました。

  さっき私があの桜に話しかけていたでしょう あの木にはへびが棲んでいるのよ 大きくふたまたに分かれているところがあるでしょう あそこに洞があってね そこに3匹棲んでいるの

少し話をして、このご婦人が朝夕ここに来ること、この場所でへびをよくみていること、へびが穴から出てあちこちとで出かけていくこと、そしてこのへびにご婦人は毎日祈っていることが分かりました。それで私は「この方は目に見えないものや自然と対話しながら生きているんだ」と感動して、

  じゃあもうへびと友達ですね

と思わず返したのでした。その後、散歩を続けたご婦人は細い山道があると思しき坂を下って視界から消えました。

 花見をすませた私がその場を立ち去ろうとしていると、ゆっくりと坂道をのぼり返してきてふたたび視界に現われたご婦人が歩み寄って語りかけてきました。何かを大切そうに包んでいた手のひらをそっとあけて見せてくれたのは、黄色みがかったいくつかの木の実でした。

  これはね ムクロジの実なの ムクロジのムは 無い クロは 患う ジは 子供って書くの それで患う子がいなくなるっていう意味なの この皮を水に入れてね それで手を洗うと手がすごくきれいになるの それでこの実は昔は数珠玉にしたり羽子板の羽根につかったの

興味深くなった私が、どの木がムクロジなのかと問うと、婦人は数歩あゆみを進めて桜と桜のあいだに生えている木を教えてくれました。

  この木はね 私の主人が植えた木なの この階段の両側に植えたんだけど 一本は草刈りの人が切っちゃったの それで一本だけになっちゃったの

周囲の桜の木と同じ程に大きく成長したその無患子の枝先に、いくつかの実がなっているのが見えました。

  その実を蒔いたら芽が出ますかね?

と思わず問いかけると、そのご婦人は、

  こんなことをひとに話したのははじめてよ

との言葉とともに、

  とくべつに三づつあげる

と手にしていた実を分けてくれました。

 その場を後にして車に乗り込んだ私のなかに不思議な感覚がよぎりました。あのご婦人は「神さま」だったんじゃないだろうか、と。桜咲き乱れるあの空間、あの時のあの場にはそんな気が充満していたように思えてならないのです。出会いは奇跡で、それは日常の表裏にあります。もしかしたらそれは桜の木に住んでいるとご婦人が教えてくれたへびのせいだったのかもしれません。
 その日は、大きな公園で花見をしてから所用の目的地に向かうつもりでした。ところが移動中に時間の余裕がないことに気付いて、通りかかったこの広場で花見をすることになりました。
 帰宅後、無患子について少しだけ知ったのは、この木がとても有用で身近に植えられてきたということです。お釈迦様が百八つの無患子の実で作った数珠を弟子たちに与えたとか、きれいな水がある場所に無患子を植えてその実を洗濯に利用していたということなど。それは木と人とがいかに身近に寄り添ってきたかを物語っているでしょう。
 そんな有用で身近だった木を私は知りませんでした。知人にも無患子の話をしたところ、私よりも年長の何人かは知っていましたが、私よりも若い方は知りませんでした。木と人とが寄り添っていた暮らしは、手の届かないどこかに消えつつあります・・・。
 ご婦人の旦那様がこの木に生きる場を与え、この無患子は大きく育ち、ご婦人はいまも毎日毎日この木を見守って語りかけています。一本の無患子の木がたくさんの実を落とし、その実で衣服や体をきれいにし、数珠や羽子板の羽根を作り、体と心を癒す。雨や風や日射しから人を守り、暮らしを助け、日々の変化と楽しみを与えてくれる。木は人を守り、人は木を守り、ともに暮らしてきました。そしてこの木はご婦人にとってはご主人の分身であり、大切な家族のような存在なのです。木は思い出も共に育んでくれる。なんということか。言葉が見つかりません。
 あのひとときのあの場での出来事も今となっては幻なのかもしれません。人と自然は別のものじゃなくてひとつなんだと確かに感じたあのとき。そしてそんな思いに導いてくれたあのご婦人は、やはり「神さま」だったのでは、と今も思えてなりません。