60年ほど前にできた家の排水桝修繕を頼まれました。当該箇所にコンクリート製の排水桝があったのだと想像しますが、現在は土管のみが残っています。長年の風雨で周囲の土間コンの下もえぐれて土が流れています。
土間コンの下がどこまでえぐれているのか見ながらダイヤモンドカッターで切り込みを入れてはつりました。残っている土管も修繕が必要な状況だったので、土管に塩ビ管を挿入して桝内に収めて、新しいコンクリート桝を設置しました。また、竪樋の排水や周囲からの雨水が桝内に流れ込むので、桝蓋はグレーチングにしました。
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夏の余波
先月(9月)の26日、東京の兄弟宅で庭整理をしました。このときの作業は、背丈ほどまで伸びた草に覆われた庭と、二階の屋根の上まで伸びた大きなつるバラの片付けなどでした。3人で一日かけてなんとか片付きましたが、余裕がなくて写真は撮れませんでした。
そして今月に入ってから、庭の草管理に困っていた近所の方に草整理を頼まれました。例年以上に気温が高かったこの夏は、畑や庭の草整理に苦心した人も多いことでしょう。
天気が良くなった日に朝一番で仕事にかかりました。もともとはきれいに芝で覆われいた庭ですが、草が繁茂していたところは芝がほぼなくなっていました。チップソーとナイロンコードを付けた刈払機で全体を4度刈って、雑草が広がっている部分はさらに低く刈り、一部には手鎌も使いました。ビフォー写真を撮り忘れたので、アフター写真のみです。
鉄骨柱の修繕
腐食した鉄骨柱の補修を頼まれました。この柱は、店舗建屋の屋根部分を支える通し柱の末端の角に位置していて、100mmの角パイプの2面にシャッターレールが沿うように取り付けられています。写真のように柱の下部は腐食が進み、埋め込まれているコンクリートからほぼ浮いているような状態になっています。
補修方法としては、腐食部を切り取って新たな角パイプを継ぐことにしました。大まかな作業の流れを記してみます。
•t3.2mm×100mm角パイプを適当な長さで切断し、4個に切り分け、繫ぎしろを出して継ぎパイプ内に溶接
•ベースプレート(t16×200×200)の四隅にアンカー用の穴あけ
•切りとる柱から少し離れたところに、単管とジャッキベースで仮り柱を立てて荷重を受けるように調整して設置
•作業の邪魔になる雨樋の部分を切除
•角柱の腐食部を切除
•基礎部分の化粧レンガをコンクリート枠の寸法で切り剥がし
•腐食柱から位置を出して、ベースプレート四隅穴と同じ位置にアンカーボルトを設置
•ベースプレートをアンカーボルトにセットし、継ぎ足し角柱差し込みしろを既存角柱内に入れた状態で、上下の角柱同士の隙間が5mmほどで、ベースプレートが水平になる位置にナットで調整
•その位置で既存角柱と補修角柱との接続部を溶接
•ベースプレートと補修角柱とを溶接
•結露対策として柱の基部に排水穴と排水スペースを設ける
•柱の下部露出部を塗装
•基礎部に枠を作って無収縮モルタルを流し込み
•無収縮モルタルの上部にコンクリート打設
•脱枠
•雨樋の補修取り付け
•塗装
以上が大まかな流れですが、
•シャッターレールの部分撤去
•柱周辺の排水の確保
•電信柱や植栽が近接していて作業が困難
•道路に面していて危険
などの要素もありました。数か月前に終えた仕事でしたが、仕上がりの写真を撮り忘れていて記事を投稿していませんでした。写真を撮ったらまた載せたいと思いますが、ひとまずこの状態で上げることにします。
めぐりゆく小さな苗たち
毎年同じことになることが多いのですが、たねを蒔いて育てた野菜の苗が余ります。思いつく人に知らせて、余った苗をとりに来てもらったりしていますが、なかなかすべては片付きません。
「処分するしかないかなぁ」と半ば思っていたそんな中、縁あって、真菰の苗を分けていただいた宮城県の会社の方に苗を送ることになりました。その会社施設の敷地内に新たに作った畑に、苗を植えたいとのことです。
残った苗をすべて送ってしまおうと思って梱包を始めたところ、ポット苗の送付には意外に手間がかかることを知って、不本意な気持ちもありましたが、20ポットにとどめることにしました。
はるばる旅をする宮城の地で元気に育ってほしい、元気な実をつけて喜ばれてほしい、そんな私の思いをのせてめぐりゆく小さな苗たち、ありがとう。
無患子(むくろじ)
たわわに花を咲かせた桜が植えめぐらされた小高い丘でのできごとです。屋根付きの座台も置かれていてとても気持ちのいい空間になっている一角に腰かけてのお花見となりました。桜の木々越しに広がる田園風景を垣間見れるこの場所は、とある霊廟の広場ということです。
私よりも年長と思しき一人のご婦人が、傍らを通り過ぎて広場をひとまわりした後、一本の桜の木に触れはじめました。両手のひらでそっと撫でながら木に語りかけています。見るともなく見ていると、やがて一歩下がって木に向き合い、両手を合わせてしばし祈った後、いつしか視界から消えていました。
しばらくしてまたふと気づくと、その方が歩み寄って話しかけてきました。 さっき私があの桜に話しかけていたでしょう あの木にはへびが棲んでいるのよ 大きくふたまたに分かれているところがあるでしょう あそこに洞があってね そこに3匹棲んでいるの
少し話をして、このご婦人が朝夕ここに来ること、この場所でへびをよくみていること、へびが穴から出てあちこちとで出かけていくこと、そしてこのへびにご婦人は毎日祈っていることが分かりました。それで私は「この方は目に見えないものや自然と対話しながら生きているんだ」と感動して、 じゃあもうへびと友達ですね
と思わず返したのでした。その後、散歩を続けたご婦人は細い山道があると思しき坂を下って視界から消えました。
花見をすませた私がその場を立ち去ろうとしていると、ゆっくりと坂道をのぼり返してきてふたたび視界に現われたご婦人が歩み寄って語りかけてきました。何かを大切そうに包んでいた手のひらをそっとあけて見せてくれたのは、黄色みがかったいくつかの木の実でした。 これはね ムクロジの実なの ムクロジのムは 無い クロは 患う ジは 子供って書くの それで患う子がいなくなるっていう意味なの この皮を水に入れてね それで手を洗うと手がすごくきれいになるの それでこの実は昔は数珠玉にしたり羽子板の羽根につかったの
興味深くなった私が、どの木がムクロジなのかと問うと、婦人は数歩あゆみを進めて桜と桜のあいだに生えている木を教えてくれました。 この木はね 私の主人が植えた木なの この階段の両側に植えたんだけど 一本は草刈りの人が切っちゃったの それで一本だけになっちゃったの
周囲の桜の木と同じ程に大きく成長したその無患子の枝先に、いくつかの実がなっているのが見えました。 その実を蒔いたら芽が出ますかね?
と思わず問いかけると、そのご婦人は、 こんなことをひとに話したのははじめてよ
との言葉とともに、 とくべつに三づつあげる
と手にしていた実を分けてくれました。
その場を後にして車に乗り込んだ私のなかに不思議な感覚がよぎりました。あのご婦人は「神さま」だったんじゃないだろうか、と。桜咲き乱れるあの空間、あの時のあの場にはそんな気が充満していたように思えてならないのです。出会いは奇跡で、それは日常の表裏にあります。もしかしたらそれは桜の木に住んでいるとご婦人が教えてくれたへびのせいだったのかもしれません。
その日は、大きな公園で花見をしてから所用の目的地に向かうつもりでした。ところが移動中に時間の余裕がないことに気付いて、通りかかったこの広場で花見をすることになりました。
帰宅後、無患子について少しだけ知ったのは、この木がとても有用で身近に植えられてきたということです。お釈迦様が百八つの無患子の実で作った数珠を弟子たちに与えたとか、きれいな水がある場所に無患子を植えてその実を洗濯に利用していたということなど。それは木と人とがいかに身近に寄り添ってきたかを物語っているでしょう。
そんな有用で身近だった木を私は知りませんでした。知人にも無患子の話をしたところ、私よりも年長の何人かは知っていましたが、私よりも若い方は知りませんでした。木と人とが寄り添っていた暮らしは、手の届かないどこかに消えつつあります・・・。
ご婦人の旦那様がこの木に生きる場を与え、この無患子は大きく育ち、ご婦人はいまも毎日毎日この木を見守って語りかけています。一本の無患子の木がたくさんの実を落とし、その実で衣服や体をきれいにし、数珠や羽子板の羽根を作り、体と心を癒す。雨や風や日射しから人を守り、暮らしを助け、日々の変化と楽しみを与えてくれる。木は人を守り、人は木を守り、ともに暮らしてきました。そしてこの木はご婦人にとってはご主人の分身であり、大切な家族のような存在なのです。木は思い出も共に育んでくれる。なんということか。言葉が見つかりません。
あのひとときのあの場での出来事も今となっては幻なのかもしれません。人と自然は別のものじゃなくてひとつなんだと確かに感じたあのとき。そしてそんな思いに導いてくれたあのご婦人は、やはり「神さま」だったのでは、と今も思えてなりません。
フェンス
依頼を請けて制作したフェンスが出来上がりました。このフェンスは農林機械を扱う会社の敷地内に設置したものです。シャープで硬質な印象のアルミ板と、温かさと広がりを感じさせるハードウッド(ウリン)の組み合わせが、はからずも機械(人工物)と自然の共存を象徴しているようにも思え、自然に働きかける農林機械を扱うこの会社にふさわしいように感じるのは、制作者である私の僻目でしょうか。
依頼されなければこのような仕事も経験できませんから、機会をいただいたことに感謝しています。また、このての仕事は久しぶりで、経験も多くはないことから、詳しい友人や身近な人に多くの教えと助言を受けました。そんな人とのつながりの大切さやありがたさを再認識することができた貴重な機会でもありました。
何はともあれ無事に出来上がって喜んでもらえて良かったです。私としては大仕事だったので、作り終えたときはほっとしました。ちょっと枚数が多くなりますが、記録も兼ねて、大まかな工程を写真で残しておきます。